ブログを始める時につけた「イタリアなのにひきこもり」というタイトル。
自分の現状を素直に表した。
ひきこもっていても、イタリアには刺激的なことが多くて、一人家から外を眺めてにやけたり、TVでもツッコミどころが沢山あるからだ。
日本では61万人を超える中高年のひきこもり事情がある。らしい。
千葉県船橋市の人口が63万人程。
ひきこもり問題が取り上げられ、ひきこもりの定義とやらを読んだ。
- 趣味の用事だけ外出
- 近所のコンビニには出かける
- 自室から出るが家から出ない
- 自室から出ない
これらの症状が6ヶ月以上続くこと。らしい。
ひきこもりのきっかけは、
- 退職
- 人間関係
- 病気
私のきっかけも上記3つ。
私も立派な中高年のひきこもりだ。
何かが引き金となって、社会から受け入れてもらえないと感じた時、人や社会を信じることができなくなる。
その不安が孤独を生み、孤独が不安をあおり、感情的になり、周りがどんどん引いていく。そして孤立する。
不安が募り、孤独になり、意味不明の怒りを生むことは体験済。
しかし、破壊しても怒りをぶつけても何も解決しない。
より苦しくなるだけだ。
その苦しみが辛くて、逃げたくて自死を選んでも成功しなかった。
死ねなかった自分にまた新たな怒りが生まれた。
「弱い、弱すぎる」と責められた。
「どうしてこんなに苦しんでいるのに、まだ攻め続けるの?」
「あなた達は恵まれてるから、私の気持ちがわかるはずがない」
という思いで一杯だった。
私はひきこもりが悪いとは全く思わない。
生活できて、ひきこもりが心地よく、自分が笑顔で幸せだったらいいんじゃないかな?
ただ、ひきこもることによって、不幸だと思ったり、不安を感じるようであれば、その不安を取り除くのは自分しかできない。
自分の不安は、自分にしか理解できないもの、時には自分でも理解できない時もある。
誰にも理解できない。それ故、誰にも助けられない。
助言をもらっても実行するかしないかは自分次第。
決定権はいつも自分なんだな。
私は、幸か不幸か、稼がなくては生活できない状況なので、ひきこもりながらも少しでも稼ぎを見つけなくてはならない。
患っていても、できることを探すしかない。
家の中で笑って、食いしん坊なひきこもりもいること、わかって欲しいなぁ~
Grazie!!! Smile!!!