ヒキコモリータの生き抜く途

(旧ブログ名 イタリアなのにひきこもり) 

美しさ

5月になった。

イタリアに外出禁止令が出て53日が経過した。

この間に外出したのはスーパーに出かけた5回。

ブログタイトルに「イタリアなのにひきこもり」とつけたが、今では世界中の人がひきこもりにならざるをえなくなり、ブログを見る度に「あらま」と思う。

 

この2ヶ月間で世界が変わり、これまで日本のニュースは見ないようにしていたが、日本の家族が心配で毎日見るようになった。

映像で日本の状況を見ることによって良い事も悪い事もある。

 

今日、日本のニュースを見てしみじみと感動したのは人の「美しさ」について。

 

5月1日、「コロナウィルス専門家会議」の会見をテレビで拝見した。

尾身先生が懇切丁寧にそして医学的、科学的にコロナウィルス対策を説明されていた。

尾身先生の堅実さ、謙虚さこそが日本人の「美」であるような気がする。

先生は

「これまで私達はコロナウィルスは長期戦になる。と言っておりましたが、長丁場、と言い換えることにします。戦いという言葉はふさわしくない。ということで長丁場と言い換えますが、皆さんがもっといい言葉があるという場合は教えていただきたい」

と、とても偉い方なのに、私達国民にアドバイスを求められた。

そして、

「国民皆さんのおかげで欧米のように急激なブレイクアウトにはならずにすみました。お礼を言うのはおかしいかもしれませんが、皆さんのおかげです」

と、我々国民に謝意を述べられた。

 

過去のこれまでの会見において「国の指示よりも我々が直に選挙で選んだ地域の長、知事の判断を参考にして欲しい。」という発言を何度かされている。

優しい口調でありながら、しっかりと私達に真意を伝えて下さる。

先生の強さと清潔さが何とも美しい。

 

尾身先生は政治家ではない。

それなのに我々国民に寄り添い、ご自分の職務に誇りを持って任務を全うされている。

自分の今までしてきた研究や仕事が誰かの役に立つという喜びが、先生の気高い雰囲気を醸し出しているのではないだろうか。

これが、人の「美しさ」だと思う。

 

逆に言葉だけ美しく行動が伴わない政治家や、言葉だけではなく態度まで横柄な政治家、自分の欲を口走る芸能人などは身なりや容姿が整っていても醜悪だ。

 

知らない会ったこともない人によりそい、思いやりを持ち、敬うという清潔な気持ちが「美」であり、「強さ」につながるように思う。

 

残念ながら、イタリア語がまだまだついていけない私にとって、イタリア人の細かなニュアンスを理解するところまではほど遠く、尾身先生のような方に出会ったことがない。というか、出会っていても気付けていない。

醜悪な人や見掛け倒しの人は、何となく肌でわかるのだが、本来の「美しい人」は謙虚な方が多いので、話してみないとわからない場合が多いような気がする。

何とか命尽きるまでにイタリアの「美しい人」に感動できるようになりたいものだ。

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日本はゴールデンウィークですね。

日常が変わり、皆さんも不自由な生活を余儀なくされていると思いますが、くれぐれも感染されないようお健やかにお過ごし下さい!

皆さんにとって今日も笑顔のある日になりますように😊

Grazie!!! Smile!!!