イタリアで暮らし始めた頃、私は全くイタリア語を理解できなかった
舅はイタリア語しか話さなかった
私のために絶対に英語を使わなかった
私が一刻も早くイタリアを理解できるように
混乱しないように
友人、近所の人に早くなじめるように
という考えだった
毎日、舅と二人で長い時間を過ごした
早起きが苦手な私
私が朝起きると、舅は笑顔で私に挨拶をして、私の支度を待って、二人で散歩にでかけ帰り道BARに行っていた
BARでは舅は近所の人と談笑して、私は静かに朝食をとる
近所の人が代わる代わる色々な話を舅と私にする
早口なイタリア語で話す人達のイタリア語を私に丁寧に教えてくれる
そして、私がありがとうと舅に言うと、みんな笑顔になる
私をPasserotta(すずめちゃん)と呼んでいた
昼食も二人きり
今思えばお粗末だった私の作ったパスタを文句も言わずに喜んで食べてくれた
テレビから流れる当時のベルルスコーニ首相のスキャンダルなニュースを見ながら、笑顔で静かな食卓だった
そして、二人とも昼寝をした
舅が元気な頃はそんな日々を送っていた
いつの間にか早起きだった舅は起き上がるのが難しくなり、私が先に起きるようになった
残念ながら私がイタリア語を話せるようになった頃には舅は外出できる状況ではなくなってしまった
舅にとって私は愛犬のようだった
私はいつも舅の横で静かにしていた
パン屋さん、スーパー、銀行でもどこに行っても、会う人、会う人、舅に挨拶した後、私に満面の笑みで「Ciao! Passerotta!(こんにちは、すずめちゃん)」と声をかけてくれた
だんだん彼らの話を聞きとることが出来るようになったが、話せるようになるまでには時間がかかった
今も正確に自分の気持ちを伝えることはできない
舅が他界して家にひきこもるようになってからは益々無口になった
そして、今年初めに声が出なくなり、少し話すと息苦しく、声がかすれ、今はほとんど話さない
夫と口喧嘩することも無くなり、穏やかな時間が流れる
夫の言うことに笑顔で返事をして、拒否する時は態度で示す
今、私は夫にとって愛犬のようになっている
病院で飼い主を待つワンコを見て思ったこと
もう一度舅に会いたいな
天候が落ち着かない上、コロナで何かと落ち着きませんね
お身体を大切にお過ごし下さい
どうぞ、皆さまお健やかに😊
Grazie!!! Smile!!