ヒキコモリータの生き抜く途

(旧ブログ名 イタリアなのにひきこもり) 

愛する

イタリアは「愛の国」

そう言われることがある

「食べて、歌って、愛する 」

「マンジャーレ、カンターレ、アマーレ」

がイタリアの人生観と表現されることが多い

 

イタリアで暮らしていると、本当にそうだと納得できる

「職・財・学」よりも「食・愛」を大切にしていると感じるから

ただ、日本に住んでいた時に思い描いていた「食べて、飲んで、愛する」と、住んでからでは違うな。と思うことが多い

 

「マンジャーレ・食べる」

一日のスケジュールが、朝、甘い物、お昼前におやつ、昼食、夕食前のアペリティーボ、夕食といったスケジュールで一日を過ごすので、食べる機会が多い

自分が生まれた土地の郷土料理を誇りに思い、祖母や母の料理を自慢する

イタリアの「食べる」はどこまでも保守的

日本の方が「食べる」こだわりは強いと思う

美味しい物がに溢れ、工夫し、各国の料理を日本料理にして、手軽に食べることができるところは素晴らしいと思う

 

「カンターレ・歌う」

確かに、食事中や会話途中で歌が始まることがある

決して日常的ではない

「歌うこと・カンターレ」ではなく、「話すこと・パルラーレ」が適当かもしれない

カラオケのように歌うことはない

日本人の方が歌うことが好きなのではないだろうか?

 

そして、「アマーレ・愛する」

ここが私が考えていた「愛する」と違いが大きい

私は、イタリア人は異性を「情熱的に愛する」と思っていた

だから私はイタリア夫から「情熱的に愛される」だろうと思っていた

これは全く違う

大きな勘違いだった

イタリア人はとにかく「自分を愛する」

どこまでも自分を愛する

彼らはあくまでも「まず自分」

 

「自分が大切にされていない」と感じれば必ず何かしら態度で示す

抗議をする

無視をする

二度と関わらない

「我慢しながら付き合うこと」や「その場では穏便に済ませ、陰で文句を言う」ということはしない

その場でキチンと不愉快さを伝えるので揉めることも多いだろう

「あなたを愛してるから言ってるのよ」は通じない

「あなたは自分が言って気が済むから言っている」となる

 

だからイタリア人は男女問わずマザコンが多いと思う

マンマは無条件に我が子を愛するから

注意する時も「アモーレ(愛する人よ)、勉強しなさい」

「テゾーロ(宝物)、もっと食べなさい」と必ず甘い言葉から始まる

マンマは

「私は、愛する人が健康でいないと私が辛いから」

子どもは

「僕は、マンマが悲しむ顔を見たくないから」

となるのだろう

 

とにかく「自分を愛する」

自分を愛して愛し抜いて、溢れた愛を他の人に示すのだろう

 

理解することができるまで、私はイタリア人夫に「愛」を求めていた

今はわかる

「愛」は求めるものではなく与えるもの

そして、「愛」は他人に与える前に自分に十分与えるもの

 

イタリアは「食べて、歌って、愛する」国

日本も「食べて、歌って、愛する」国

愛に溺れないようにするためには

自分を「愛する」ことが大切!

愛に溢れる海の生涯の浮き輪になってくれるだろう

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 自分の感情や行動はどうであれ、時間は過ぎて行きますね

今が自分の一番若い自分

「今日は充実した一日だった」という日を積み重ねたいものです

 

どうぞ、皆さまお健やかに😊

Grazie!!! Smile!!