ヒキコモリータの生き抜く途

(旧ブログ名 イタリアなのにひきこもり) 

監視カメラ

一昨日、ベッドの中で泣きわめき、昨日はほとんどベッドで過ごした私。

2日間、夜は早い時間から雨戸を閉め、朝はお昼前に雨戸をあけた。

今朝、夫を送り出し、ベランダの掃除をしていると近所の人達が声をかけてくれる。

「大丈夫?昨日は姿を見かけなかったけど?」

「今日は早く洗濯をして夕方には入れないと雨が降るわよ」

「今週、だんなさんは毎日お仕事ね。お休みはないの?」

本当にあちこちから声がかかる。

 

みんなよく見ているなぁ~と思う。

まさにこの通り。

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朝8時半頃スーパーからの帰り道には、

「もう買い物に行ってきたの?今だったら空いてるでしょ、ブラバ!ブラバ!」

だとか

「こんな時間に行っても商品が揃っていないでしょ。本当にあそこの従業員と言ったら朝はおしゃべりばっかりで手が動かないからね、ホントにね」

とか、とにかく道の上から声がかかる。

家に着くころには笑いが込みあがってくる。

本当に生まれ育った町の昭和の光景を思い出す。

 

こんな日常を楽しめない日もある。

「誰かに見られている」と思うと急に重たくなる。

消えたいと思うこともある。

自意識過剰だと思う。

単純に苦痛だから仕方ない。

 

だから、笑える日は思い切り笑い、消えたいと思う日は、そのうち笑えるようになるだろうとやり過ごそう。

そう思えるようになったのは、イタリアの監視カメラには素直な心が内臓されているからだろう。

純粋で単純な挨拶。

私も、いつも挨拶をするおばぁちゃまの家の雨戸が閉まっていると心配になる。

いつか私も監視カメラの仲間入りをするんだろな。

Grazie!!! Smile!!!