イタリア人夫と出会ったのは日本。
私が一度目の結婚生活が破綻し、落ち込んでいる時、イタリア好きの友人に誘われた食事会で、同じく一度目結婚生活が破綻したばかりのイタリア人夫と出会った。
私も夫も、一生、離婚とは縁のない人生だと信じ込んでいたこと、一度家族になった人を嫌いになるには想像以上の力を要したこと。などの会話で盛り上がり、その後、交際が始まり、結婚した。
イタリアどころか外国に全く興味がなかった私には、彼との交際、彼の家族との関係は非常に新鮮でおおいに楽しんだ。
舅の体調が悪くなり、夫がイタリアへの帰国を決め、私も仕事のキリがつき次第、イタリアに行き、生活を始めることになった。
夫を頼りにしている舅、そして、私には他に兄弟がおり、日本の両親には私達以外にも大勢の家族がいることも安心材料となった上、仕事もタイミングよく一つの大仕事が終わったこともありイタリアへの移住はとても自然だった。
40歳を過ぎて初めて行ったイタリア、初めての海外生活はワクワク感ばかり。
その上、イタリアには家族がいて、日本に帰ろうと思えば簡単に帰ることも出来る。
「迷い」も「決断」もなく、自然だった。
しかし、50歳を目前したある日、元気だった60代の叔母が他界したことが引き金となり「老い」と「死」が私の頭と心を支配し始めた。
とてつもない不安が私を追い詰める。
まだ、イタリア語は満足に話せない。
体調が悪くなっても簡単に病院に行くこともできない。
夫に何かあった時、私は一人でどうすればいいのだろうか。
この国で一人で生きていけるのだろうか。
体が不自由になった時、子供も友達もいないこの国でどうすればいい?
日毎に不安は大きくなり、情緒不安定になる。
大きくなった不安は、突然怒りへと姿を変える。
イタリアでの生活を簡単に考えていた自分。
イタリア語をしっかりと学び続けていない自分。
イタリアで職に就けていない自分。
稼いだお金以上に浪費していた日本での自分。
不安から生じた怒りは、浅はかで無責任な自分に向けられる。
不安と怒りで現実を直視できず、食事をとらずお酒を飲み続け、泣き疲れて眠る。
更年期、弱い、と言われればそれで話は終了。
ある日夫が言った。
「一度、日本に帰る?あなたが苦しんでいる姿を見るのは苦しい。僕は何も変わらない。ずっと待っているし、ここにいる。しっかり考えて欲しい」
「考えてみる」
そう言って間もなく、突然、病が私を襲う。
「イタリアでも治療ができるけど、日本で治療してゆっくりしてもいいよ。あなたの楽な方にするのがいい。僕はあなたの夫だから、あなたの治療に寄り添いたい。だからイタリアで治療して欲しいけど、あなたにとって負担にならない事が一番大切」
夫の言葉に涙が溢れる。
そして、迷った。
言葉が3割程度しか通じない国で治療を始めるのか、日本で治療を受けるのか。
日本で治療を受けるとすれば一年はかかるだろう。
現在よりも確実に体力は衰えてイタリアに戻ることになる。
イタリアで治療を始めれば、不安は尽きず、夫の負担はかなりのものになるだろう。
日常生活に加え、病院通い、全てにおいて頼らざるを得ない。
迷いに迷う。
50歳、これからは老いるばかり、その先には死がある。
今は日本とイタリア、どちらで治療するか選ぶことができるが、いずれ選べない状況になるだろう。
ここに家族がいて、ここに人生がある。
腹を括ろう。
そう決断し、前を向いた。
不安は消えないが、学びと好奇心が上回るようになり、じょじょに怒りが楽しみに変わっていった。
腹を括ると、全ての景色が変わった。
いくつになってもイタリアで大好きなフライドポテトとお喋りを思い存分楽しむぞ~!
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