ヒキコモリータの生き抜く途

(旧ブログ名 イタリアなのにひきこもり) 

そんなのあり?

この国に住んでいると「そんなのあり?」という場面によく遭遇する。

例えば、路線バス。

料金を払わない人も多い。

かつて叔母の大掛かりな手術が終わった後、執刀医に話を聞きに行くとアイスクリームを食べながら説明してくれた。

 「そんなのあり?」と聞きたくなることが沢山ある。

 近所にイタリア人男性の養女になったグルジア(ジョージア)人の女性がいる。

奥様に先立たれ、子供のいない男性の家に家政婦として雇われた後、その後、養女となった。

私達が日本にいる時、我が家にも手伝いに来てくれていた。

彼女にはグルジア(ジョージア)に住んでいる2人の子供、孫がいる。

時々、舅の話相手に遊びに来ていた時があった。

舅は「彼女はグルジアの戦争中に軍人に乱暴されて身籠った気の毒な女性だ」と涙ながらに話す。

彼女は私の夫と同じ年(44歳)だと言う。

舅と夫に「彼女は私より年上に見えるね」と言うと「もちろん、60歳くらいでしょ」と言う。

「そんなのあり?」「あり!あり!」と言う。

 

3年程前から彼氏(イタリア人、奥様と死別、60歳くらい)まで彼女の家に一緒に住んでいる。

「彼女のお義父さんは何も言わないの?彼氏はお義父さんに気を使わないの?そんなのあり?」と夫に聞く。

「一緒に住んでるからありなんでしょ」と言う。

...ありなのか。

 

いい加減、自分の固定観念の頑固さと共感を求める依存心を崩壊しないとこの国では窮屈になりそうだ。

 

今、彼女の娘と孫がバカンスのためイタリアに遊びに来ている。

洗濯されたくまちゃんのぬいぐるみが心配で、何度も何度もベランダに出てくる。

(こんな干され方、心配すぎる...)

手を振ると恥ずかしくて中に入ってしまう。

美しく可愛いお孫ちゃん、5歳ぐらいだろう。

彼女のおばあちゃんが何歳でも彼女にとっては素敵なおばあちゃまなんだろな。と思うと...彼女のことを色々憶測している自分が恥ずかしくなった。

 

Grazie!!! Smile!!!