ヒキコモリータの生き抜く途

(旧ブログ名 イタリアなのにひきこもり) 

疎通

イタリア人夫と24時間70日間ほどず~っと一緒にいる。

お互い日本語、イタリア語が不自由な私達は、意思の疎通を100%言葉ではかれない。

気持ちを思いやりながら、お互いの母語を噛み砕きながら気持ちを伝える。

再婚同士の私達は、夫婦生活において、たとえ言葉が通じても上手くいかないものはいかない。という、言語に達観しているところがある。

特に私は、日本人同士で結婚していたから言葉以上に大切なものがあるという妄想もある。

 

しかし、今日は引っ掛かった。

夕食のメニューを相談している時、私が考えている献立を言うと夫は「今日はフレッシュなトマトのブルスケッタが食べたいな」と言った。

私は「じゃ、私が考えているメニューとブルスケッタはあわないから、メインを豚肉の軽いソテーにしましょう」ということになった。

 

自分が考えていたメニューより、ひと手間かかるけど、夫の食べたいものを作りたかった。

そして、夕食時。

夫「あれ?気持ち変わったの?ソテーになったの?僕は大丈夫だけど」

私「???あなたと相談して決めたメニューだよ。大丈夫ってどうゆうこと?」

夫「だから、僕は大丈夫」

私「え?あなたの気持ちを守って作ったんだけど、大丈夫ってどういうこと?」

夫「だから大丈夫、食べよう」

 

イラっとした。

大丈夫ってどういうこと?

そして、夫に説明した。

日本語で「大丈夫」っていうことは前にネガティブな文章がつく。

「コロナウィルスで大変な状況だけど、大丈夫?」

「梅雨だけど体調は大丈夫?」

「このカレー辛いけど、大丈夫」など。

だからあなたの「大丈夫」の前には「相談していた時と違うメニューだけど僕は大丈夫」だとか「ちょっと味がイマイチだけど僕は大丈夫」だというようになる。と説明した。

 

イタリアの挨拶で「元気?上手くいってる?」というフレーズある。

「Come stai ? Tutto bene?」答えは「Si, tutto bene」

この「tutto bene」を夫は「大丈夫」と言ったのだろう。

夫の頭の中では、大丈夫=うまくいくなんだろう。

夫は単純に「美味しいよ」と言いたかったのかもしれない。

 

そんな時、テレビで子羊の串焼きの映像が流れた。

夫が「懐かしい~焼き鳥だぁ~食べたいなぁ~」と能天気に言った。

私は「これは子羊、鳥ではない。よって焼き鳥ではない。これは串焼き」と冷静に説明した。

夫は「なること(なるほど)」と言って黙った。

私は笑いがこみあげて「ここはイタリア。私はイタリア語を話さなくてはいけないからイタリア語で話して~」と言って大笑いしながら懇願した。

 

そういえば、海苔弁と言って夫に出したある日の昼食。

肝心の海苔がないという曖昧さを説明していなかったことを反省した夜。

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他人と意思疎通って100%上手くいくのが奇跡なのかもしれない。

自分でも自分自身と意思が疎通しない時があるのだから。

デープスペクターさんの日本語のように私のイタリア語が流暢になったら、夫への思いやりがなくなり破綻してしまうかもしれない。

なぁんて言い訳で、今日もイタリア語学習をサボってしまった。

 

新緑の季節、週末にしっかりと気分転換してお健やかにお過ごし下さいね。

皆さんにとって笑顔のある週末になりますように😊

Grazie!!! Smile!!!