人生後半になるまで母の愛を素直に受け取ることができなかった私。
恥ずかしい。
イタリアに来てからも、母からの叱咤激励、様々な発言に
「お母さんのように、両親から離れず、ずっと両親と一緒に生きてきて苦労のない人には、私の苦労がわかるはずがない。金銭的にも両親がずっと援助してくれていたし、結婚生活も子宝にも悩むことなく生きてきた人。私の人生、本当に大変。どうして私なんかを生んだの?」
などと平気で言っていた。
なんて、恥ずかしい人間だ。
母は「困ったわね。私とお父さんはあなたがいて本当に幸せなのに」
と悲しい声を出していた。
私は、「これは、私が選んだ結果の人生。仕方ない。だからどうしてもらおうとも思っていない。ただ、本当に大変で、話を聞いてほしいだけ。甘えたいだけ。」と言った。
「甘えたいだけ」初めて母に言った。
この会話をきっかけに、ただ単なる世間話、イタリア生活の愚痴をお喋りすることが楽しくなった。
25年間、見栄っ張りだった私が、精神的にも金銭的にも大変な時は、大変だ。困った。と言うようになった。
昨日、母からもらった電話で夫が歯の治療をしたところ熱が出た話をした。
すると夜中にメッセージが到着し、返信し、また、今朝の様子を報告した。
朝から涙が溢れる。
飛んで行けないから...私が両親を労わらなければならないのに...
自分の愚かさに恥じ入った。
両親より長生きしたいなぁ。
Grazie!!! Smile!!!