ヒキコモリータの生き抜く途

(旧ブログ名 イタリアなのにひきこもり) 

「気」ひとつ

「気」ひとつで何もかもが変わる瞬間がある。

「そんなのあなたの気ぃひとつの問題よ」

祖母がよく私に言っていた。

気持ちの持ち方一つで状況が変わることだと思っている。

「気ひとつ」は大阪弁なのだろうか?

 

イタリアに住んでいると担当者の「気、ひとつ」で人生が変わることさえある。

 

BARでの注文といった些細なことから、市役所、警察といった 公共窓口まで、ある意味一貫している。

日本では信じられないこと。

 

昨年末、私は日本からの小包を受取るため夫と二人で郵便局へ行った。

姉が年末年始に向けて日本食材を送ってくれたのだ。

姉の送り状には夫のファミリーネーム、夫のファーストネーム、私のファーストネームが書いてあった。

「トランプ ドナルド・メラニア」や「安倍晋三・あきえ」という感覚。

 

夫と私の身分証明書を見せても名前が違うと言って渡してくれない。

夫の名前は「トランプ ドナルド」

私の名前は「トランプ メラニア」

この送り状にある「トランプ ドナルド・メラニア」はあなたではない!と言うのだ。

もちろん住所、電話番号は身分証明書と一致する。

今まで10回以上、同じ宛名、氏名で届いている。

夫が「今までもこの宛名、氏名で何度も荷物を受け取っています。この宛名通りの身分証明書はないが、ここに二人揃っていますし、送り状通りの名前は私達以外に存在しません。その荷物はどうなるのですか?」と聞く。

担当者は「日本に送り返されることになります。返送される場合、費用は送付した人(姉)が払うことになります」と言う。

一万円ほどの食糧、一万円以上の送料、その上、返送料まで姉に請求されるとは...

夫に「お願いだから何とかならないか聞いて!」とすがってみた。

しかし、夫は「仕方ない」を繰り返すだけ。

 

私は「日本では夫の姓の下に、夫婦の名前を書く習慣なのでこうなってしまいました。

次回から気をつけますので何とかなりませんか?」と聞く。

彼女の答えは「ここはイタリアだから無理です」とだけ...

夫にたしなめられて郵便局を後にした。

 

帰り道、涙が溢れ、どうしても諦められない!と言い、私一人郵便局に戻った。

「その荷物を受け取る方法を教えて下さい。お米や日本の食材をクリスマスプレゼントとして日本の家族が送ってくれたのです。次回から必ず気をつけますから、お願いです」ともう一度言ってみた。

残念ながら、答えは「無理です」

他の窓口の人も何とかしてあげたいけど残念ね。という顔をしていた。

悲しみからくる怒りで涙が溢れ、声が出るほどになり、何とか「Grazie」と言い、肩を震わせ震わせ泣きながら外に出た。

 

家に帰り、夫に訴えながらまた涙がでた。

夫は「明日もう一度行ってみよう!ダメな場合はフィレンツェ中央郵便局へ連絡してみよう」と言ってくれた。

 

そして、翌日

あっさりと小包を受け取って帰ってきた。

前日の担当者は「公休」だったらしい。

夫曰く「イタリア人はプライドが大事。担当者が一度ダメといったら同僚や上司その人のプライドを守ることが多い。だから、その場で諦めて担当者が変わるタイミングをみるしかない」

 

「ふ~ん、担当者の気、ひとつで大変ね」とだけ言った。

 

それ以来、郵便局で彼女の理不尽ともいえる指摘を笑顔で「Grazie」と対応し続けていると、彼女以外の担当者の時には、驚くほど簡単にことが運ぶようになった。

これも担当者の「気、ひとつ」

 

「気、ひとつ」で上手くいったり、いかなかったり。

日本とは全く違う感覚。

苦情を言っても無視されるだけで「謝罪」なんてありえない。

「残念でしたね」で終わるだろう。

 

この国で生きていくにはこちら側が「気、ひとつ」変えるしかない。

 

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無事、年越しそばも食べることができました😊

 

金曜日、週末ですね。

体調第一! 

どうぞお健やかにお過ごし下さいね💕

Grazie!!! Smile!!!