私は何かにつけて「負けたくない」という感情を無視してきた。
末っ子なので、生まれた瞬間から私以外の年上家族全員(8人)に対して意思表示をしても聞き入れてもらえない環境だったからだろうか。
「負けたくない」と認識することがないので、一見穏やかに見えるが、厄介な性格が出来上がった。
勉強、スポーツ、ゲームなど全てにおいて不利だし、乗り越える力がない。
とてもどんくさい。
運動会、何とか大会、とにかく順番がつくことから逃げることしか考えなかった。
幼稚園の時、運動会でパン食い競争があった。
母におんぶしてもらい、ぶら下がっているパンを食べる。
母はダッシュして一番にパンの下に到着。
私はみんなが来るのを待ってからしかパンを食べようとしなかった。
母が「何してるの!早くくわえなさい!」といって、見かねた先生がパンを私の口に持ってきてくれたらしいが、「嫌だ」と言って、みんなが到着するまで食べなかったらしい。
中学、高校になり友人とのお喋りが楽しくなると勉強せず、平気で学年最下位の成績。
恥ずかしい、勉強しなくてはとか、何とかしなくてはと思ったことがなかった。
勉強していないから当然でしょ。としか思わなかった。
テニスクラブに入っていたが勝ちたい気持ちはゼロなのでラケットもウェアもアクセサリーだった。
もちろん、大学受験は見事に失敗。
母は負けず嫌いな人なので私にいつも「がんばれ。」と言っていた。
父だけはいつも「ヒキコモリータらしいなぁ」と言ってくれたが、家族からは「本当にどんくさい」と言われていた。
母の負けず嫌いの性格は姉が全て引き受けてくれた。
姉は勉強、スポーツ、日常生活において常に「強く!強く!」をモットーに生きているように思える。
そして、実際、強い精神力を持ち、勉強、スポーツ、日常生活においても結果をだしている。
イチロー選手がお手本と言っていた。
いつも母や姉を見て「私には無理だなぁ」と思い続けていた。
「負けたくない」という感情は無視しても、「勝った気分」には敏感に反応する。
様々なお世辞にいい気になった。まさに勘違い。
自分勝手に「自分は生き方が違う」と思い込み、「おごりのある人生」「思いあがりの人生」を送ってきた。
最近ようやく気がついた。
異国でここまで悪戦苦闘するまで気がつかなかった「自分」と「家族」の大切さ。
今までのおごりや思い上がりを恥じ、地に足をつけて歩かなくてはいけない。
大切なものを守るために「負けたくない」と言う感情を無視せず、その気持ちを糧にして少しずつ強くなりたいと思う。
ちょっと遅すぎたかもしれない...
≪電波教師 イタリアにて「OTAKU」という題名で放送中≫
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