ヒキコモリータの生き抜く途

(旧ブログ名 イタリアなのにひきこもり) 

イタリア人の情け深さ

イタリアで暮らしていると、イタリア人はなんやかんやと文句を言いながら、とても情け深いと思う。

自分達の「環境」に対して非常に客観的に捉え、その環境に感謝している故なのかもしれない。

そして、彼らの個人主義は、「人生の過酷さと諦め、そして自分の弱さ」を受け入れた結果なのかもしれない。と思うようになった。

 

私が自分の人生を嘆くと、夫は

「人は@(キオッチョラ=イタリア語でカタツムリ)と一緒。カタツムリの背中の家には沢山の苦労や悲しみを背負って生きている。貴方だけではない。」とだけ言う。

義両親、義祖父母の話を聞くと、数々の戦いで家族がバラバラになったり、命を落としていたり、理不尽な運命、大変な人生を送っている。

 

日本も戦争で過酷な歴史がある。日本人も情け深い人が多かった...。

私がイタリアに嫁いだ時、「曾祖父母、祖父母の家に来たみたい。」と思った。

日本とイタリアの大きく違う点は、多くの人種が入り混じっていること。

現在40歳前後の友人を見ても両親、祖父母全員がイタリア人という人は少ない。

近所にも中・東欧、アフリカ、南米、中国と様々な人種の人が暮らしている。

そして、今もどんどん移民が入り続けている。私もその一人。

多種多様な生い立ち、環境、文化の中でそれが普通。で生きている。

 

夫や舅は出かける時に雨が降っていなければ、雨が降りそうでも傘を持って出かけず、雨が降ってくると傘を売っている移民者から傘を買う。

バスや電車を待っている時に「たばこを貰えませんか?」と言われると、一本渡す。

最初はとても不思議だった。

暮らしているうちに「自分はたまたまラッキーなだけ。」という考えがしっかりとあるんだな。と理解すると腑に落ちた。

 

東大入学式祝辞の中に出てきた言葉。

恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。(平成31年度東京大学学部入学式 祝辞(東京大学ホームページ)より引用

私の周りのイタリア人そのものだと思った。

超個人主義だけど...

 

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