ヒキコモリータの生き抜く途

(旧ブログ名 イタリアなのにひきこもり) 

国籍

明けましておめでとうございます。

2020年が始まった!

いやはや何があっても時間は流れ、年は明ける。

新年を迎えるにあたり、夫の仕事(サービス業)事情で、夫の勤務時間は17時から年明け午前3時まで、そして、元旦は9時出勤という過酷な状況。

というわけで私は一人で年を越す。

今年は夫の勤務地近くに宿を確保し、夫の睡眠時間を確保した。

馴染みのない街で過ごすと、普段感じることのない差別を実感する。

 

イタリア人にとっては日本人は東洋人。

いまだにあからさまに東洋人を差別する人が存在する。

「日本人」とわかると対応が変わるのも少し違和感がある。

しかし、「日本人」に対して贔屓にしてもらうと少し嬉しくなる自分もいる。

私は、アフリカ人、ケニア人、モロッコ人、ガーナ人、エチオピア人の見分けられないし、東欧人、ハンガリー人、チェコ人、ポーランド人も見わけがつかない。

だから東洋人一括りの方が気が楽だ。

 

家に帰り、ヴェネチアフェニーチェ劇場の新年コンサートを見て改めて思った。

ヴェネチアフェニーチェ劇場場220年の間に火災や浸水によって度々大きな被害を受けたが、フェニーチェ=不死鳥のごとく今も存在している。

フェニーチェ交響楽団の指揮者は韓国人。

昨年も大きな水害に襲われたヴェネチア。

彼が言った「ビバ(万歳)、イタリア!」「ビバ、ヴェネチア!」「ビバ、フェニーチェ!」その言葉に大きな拍手がおこる。

まさに文化に国籍は関係ない。

2013年、改築された大阪フェスティバルホールのこけら落とし公演もフェニーチェ交響楽団で彼が指揮をした。

(余談:その日の前日、私は夫と大喧嘩をして右目に眼帯をして行った思い出があり、まさか、7年後イタリアのTVでコンサートを見るとは思っていなかったなぁ。)

神様によって采配された国籍。

日本で暮らした45年間では全く意識しなかった。

今は嫌でも意識せざるを得ない。

日本人であることを言い訳にすることを少なくしたい一年にしようと思った年越しだった。

 

日本は夜が明けましたね。

皆さんの初夢はいかがでしたか?

改めまして今年もよろしくお願い申し上げます。

Grazie!!! Smile!!